大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成4年(オ)1180号 判決

上告人

柴田敏男

佐藤数雄

友永今朝夫

内野末子

森栄介

宮本重夫

吉瀬安渡

竹中美代子

内山麗子

右九名訴訟代理人弁護士

小泉幸雄

内田省司

井手豊継

小澤清實

田中利美

津田聰夫

辻本章

名和田茂生

林田賢一

前田豊

被上告人

右代表者法務大臣

三ケ月章

右指定代理人

増井和男

外一九名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人小泉幸雄、同内田省司、同井手豊継、同小澤清實、同田中利美、同津田聰夫、同辻本章、同名和田茂生、同林田賢一、同前田豊の上告理由について

一  所論は、上告人らの本件訴えのうち、毎日午後九時から翌日午前七時までの間、本件空港を一切の航空機の離着陸に使用させることの差止めを請求する部分(以下「本件差止請求」という。)は、民事訴訟によって解決されるべき事柄であるにもかかわらず、これを民事上の請求としては不適法であるとした原審の判断には、民事訴訟法の解釈適用を誤った違法がある、というのである。

二 本件空港は、空港整備法二条一項二号にいう第二種空港であって、同法四条一項の規定により運輸大臣が設置し、管理するものであるところ、このような本件空港において民間航空機の離着陸の差止めを請求することは、民事上の請求としては不適法であるとした原審の判断は、正当であり(最高裁昭和五一年(オ)三九五号同五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)、右判断に所論の違法はない。

また、自衛隊の使用する航空機(以下「自衛隊機」という。)について、その離着陸の差止めを請求することは、防衛庁長官にゆだねられた自衛隊機の運航に関する権限の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるものであるから、行政訴訟としてどのような要件の下にどのような請求をすることができるかはともかくとして、民事上の請求としては不適法であるというべきであり(最高裁昭和六二年(オ)第五八号平成五年二月二五日第一小法廷判決・民集四七巻二号六四三頁参照)、自衛隊機に関して本件差止請求に係る訴えを不適法とした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。

次に、原審が適法に確定したところによると、本件空港に係る被上告人とアメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)との関係は条約に基づくものであるから、被上告人は、条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めがない限り、米軍の本件空港の使用を制限し得るものではなく、関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。そうすると、上告人らが米軍の使用する航空機の離着陸等の差止めを請求するのは、被上告人に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものというべきであるから、その請求は、その余について判断するまでもなく、主張自体失当として棄却を免れない(前記第一小法廷判決参照)。しかしながら、右請求に係る訴えを不適法として却下した一審判決を取り消して請求を棄却することは不利益変更禁止の原則に触れるから、右却下部分に対する控訴は棄却するほかなく、原判決は結局において相当である。

論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官味村治の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官味村治の補足意見は、次のとおりである。

私は、最高裁昭和六二年(オ)第五八号平成五年二月二五日第一小法廷判決・民集四七巻二号六四三頁において、一定の要件の下に自衛隊機の運航の規制に関する行政訴訟の可能性を認めた裁判官橋元四郎平の補足意見に同調したが、本件においてもこれを引用する。(裁判長裁判官大堀誠一 裁判官味村治 裁判官小野幹雄 裁判官三好達裁判官大白勝)

上告代理人小泉幸雄、同内田省司、同井手豊継、同小澤清實、同田中利美、同津田聰夫、同辻本章、同名和田茂生、同林田賢一、同前田豊の上告理由

一 「公共の利益」と「国民の基本的人権」は本来矛盾するものではない。しかしながら国を被告とした一連の公害訴訟において、国は「公共の利益」を理由に公害の被害者に対して被害は受任限度の範囲内であるとして、被害者の基本的人権を侵害している。

「公共の利益」の概念は今や戦時中の「お国のために」あるいは「天皇陛下の御為に」と同意語に化そうとしている。

憲法第二五条は、国民の生存権を保障し、その第二項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国の責務を規定している。「公共の利益」を口実にした国の主張は許されるものではない。

二 空港騒音による被害住民の願いは「静かな夜を返せ」とのささやかな希望であり、人間らしく生きるための当然の権利の主張である。そこで、被害住民は自らの生存権を守るために、裁判所に対してその救済を求めたものである。

これに対して裁判所はいかなる判断をしたのか。夜間飛行の差止め請求に対して、原審は一審判決と同じく民事訴訟による請求は不適法であるとして却下した。

それでは行政訴訟による差止め請求についてはどうか。一九九二年三月一八日、東京地裁は、羽田空港訴訟事件について「行政訴訟による差止め請求は不適法」として請求を却下した。

憲法第三二条は国民の裁判を受ける権利を保障しているが、裁判所は国民の裁判を受ける権利を自ら侵害していることになる。「憲法の番人」「人権の砦」としての裁判所は存在しないのか。その最大の責任は最高裁判所にあるといわなければならない。

三 一九九一年一二月一二日付けの毎日新聞朝刊は、一面のトップ記事で「覆った『飛行差止め』」「小法廷判決直前、大法廷へ、最高裁長官が意向」「一〇年前の大阪空港訴訟」と大きな見出しで岡原昌男元最高裁長官の顔写真入りの報道をした。

全国の空港訴訟に関係している弁護団及び原告団は大きなショックを受けたことはいうまでもない。「三権分立の理念」は一体どうなったのか。最高裁への怒りと不信が強まった。

毎日新聞社会部編集の「検証・最高裁判所」(一九九一年一二月二〇日発行)の第三章「被害救済と公共性の接点を問う。大阪空港訴訟で一転した評議の流れ」は、大阪空港訴訟が小法廷から大法廷に回付された経過を詳細に記述している。大阪空港訴訟の大阪高裁の判決は、夜間飛行の差止め請求を認め、且つ過去及び将来の損害賠償を認め被害住民の全面勝訴であり、画期的判決であった。上告審では第一小法廷が担当し、一九七八年五月二二日岸上康夫裁判長は「判決は追って指定する」として結審した。岸上裁判長は同年九月二一日定年退官の予定であったから、同裁判官の退官前に判決の言渡があると予想された。

ところが、同年八月三一日突然、大法廷へ回付された。なぜか。前記「検証・最高裁判所」は左記のとおり語っている。

「それにしても、小法廷でいったん結審までしていながら、小法廷の審理を白紙に戻すような大法廷回付の手続きが取られたのは、なぜだったのか。

裁判所法は、最高裁が必ず大法廷で審理しなければならない場合として、法律、命令などに対する新たな憲法判断や違憲の判断と判例変更を挙げる。それを受けた最高裁判所裁判事務処理規則によると、審理はまず小法廷で行い、①裁判所法の規定に該当する②小法廷の裁判官の意見が同数で分かれる③大法廷での裁判を相当と認める―のいずれかのときには、その小法廷の裁判長が大法廷の裁判長(最高裁長官)へ通知することになっており、この通知が大法廷への回付手続きと呼ばれている。

列挙された理由の中で①か③に当たるときは、結審までいたらないうちに途中で小法廷の評議を打ち切るのが通例だ。大半の大法廷回付は実際にも、そのようにして行われてきた。このため、当時は、関与した四裁判官の意見が二対二で割れたのではないかという見方さえ出た。

しかし、事実は違った。複数の関係者が重い口を開いて話した証言を総合すれば、第一小法廷での審理と大法廷回付は、以下のような経過をたどったという。

評議の行方は、口頭弁論までに、もう見えるところまできた。あとは、最終的な評決と判決文の作成だけが残っていた。『差し止めも、過去の損害賠償も認め、将来の損害賠償だけを認めない』。二審判決の結論を基本的に維持する方向で評議はほぼまとまり、少なくとも、そんな大勢に、四裁判官のだれからも異論はなかった。」

「『第一小法廷が最初に、自主的に言い出したわけではなかった』『第一小法廷以外の最高裁の中から、大法廷でやってはどうかという声が上がった』。そんな証言を手掛かりに、さらに取材を進めたところ、もっと具体的な証言にたどり着いた。

『当時の岡原(昌男)長官ですよ、最初に言い出したのは。第一小法廷の岸上裁判長に『大法廷へ回付する方法もあると思うがどうだろうか』と声を掛けたのです』

岸上裁判長から、そう聞かされても、第一小法廷の空気は『いまさら、そんな必要があるのか』と、大法廷回付に消極的だった。ある裁判官は『長官と話してくる』とまで憤慨したという。」

以上のとおり、検察官出身の岡原昌男長官の不当な圧力により大法廷に回付され、一九八一年一二月一六日、大法廷は大阪高裁判決を排斥し、夜間飛行の差止め請求を不適法として却下した。

政治的権力が岡原長官に対して圧力をかけたか否か、定かではないが、少なくとも運輸省や法務省の意向にそった判決であったことは否定できない。

四 岡原長官の介入は、明治時代における大津事件の大審院長官児島惟謙が、司法の独立を守るために、政治権力の圧力に屈してはならないと、自らも斗い、且つ大津地方裁判所の裁判官に働きかけたこととは全く異質のものであり、「憲法の番人」として司法の独立を守らなければならない最高裁長官として許されるものではなかった。

五 「『裁判所は国民の権利を擁護し防衛し、正義と衡平とを実現するところであり、封建時代のように、圧制政府の手先となって国民を弾圧、迫害するところではない』、『民主的憲法の下にあっては、国民が真に国民の裁判として信頼するようにならねば裁判所の使命は達成できない』、『国家、政府の法律・命令・処分が憲法に違反した場合には断固として、憲法違反を宣言し憲法の番人たる役目を尽さねばならない』。」

これは、一九四七年八月、初代最高裁長官三渕忠彦が、就任にあたって述べた「国民への挨拶」の一節である。何とみずみずしいことか。児島惟謙が守り抜いた「司法の独立」の理念が、新憲法制定により、さらに光り輝いている。

「司法の独立」で最も大切なのは、時の政治権力の不当な介入、圧迫を断固として排除することである。

初代三渕長官の挨拶を今一度想起し、最高裁判所の裁判官が、「断固として憲法の番人たる役目」を果して、司法に対する国民の信頼を回復されるよう強く望むものである。

第一 上告理由第一点

本件空港の差止請求にかかる訴えの適法性に関する原判決の認定、判断は、以下に指摘する点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな理由不備又は理由齟齬の違法がある。

一 原判決は、差止請求の訴えの適法性に関し、民事上の請求不適法説を採用した一審判決を引用し、一審判決の理由説示を変更する必要を認めない、としたうえで、「それだけに、前者の見解(民事上の請求不適法説―上告人注)には、本来航空行政権の埒外にあるべき周辺住民がその私権を侵害された場合において、もともと公権力を行使する存在でない空港管理権者に対し何故これを受忍しなければならないかについて、また、空港管理権者たる運輸大臣の判断と航空行政権者たる運輸大臣の判断が抵触した場合において後者が前者に優越する実質的な理由について一義的で明確な説明がないのみならず、公益が公益なる故に私益に優越して保護される理由又は航空行政の政策的配慮が不法行為の被害者救済に優先する理由について納得するに足りる説明がないこと、更には司法的救済手段である行政訴訟の手続的保障について現実性ある理論の解明が不十分であること等今一つ説得力に欠ける理論上の欠陥があるといわなければならない」「思うに、国営空港における航空行政権と空港管理権の不可分性ないし航空行政権の空港管理権に対する優越性、拘束性の問題は法原則を異にする公法と私法が深く関連、交錯する分野の問題であり、優れて公益と私益の対立衝突する分野の問題である。そして、公益なくして真の私益はなく、私益なくして真の公益なき時代において、また、価値観が多様化した中で、公益と私益の絶対的な共存関係が要請される社会において、いわゆる公法私法の概括的二元論によることなく、航空機の発着差止を巡って生ずべき公益私益二つの法益の関係を一義的に無理なく調和させ、かつ、基本的人権を害することなく公共の福祉の実現を図ることは決して容易な業ではなく、両者の対立関係が激しければ激しいほど尚更然りといわなければならないが、ぎりぎりの利害を調整するに当たっては公益ないし公共の福祉を私益ないし基本的人権に優先させることが必要である場合も当然ありうるところである。しかし、その場合は、解釈方法論的に可能な限り、私益ないし人権に対する実質的な判断を与える機会を現実性のある法手続として保障し易い場面又は段階、例えば公共性と受忍限度の実体的判断の段階においてであることが望ましいのであって、権利保護要件等訴訟要件の存否ないし行政訴訟手続又は狭義の民事訴訟手続の可否等を判断する場面、段階において公益ないし公共の福祉を私益ないし人権に優先するとして訴え自体を不適法と解することにはできるだけ慎重でなければならない。その意味において法解釈方法論的にも前者の見解は後者の見解以上に釈然としないものがあるといわなければならない」「ただいずれの見解を採るにしても、公法的には航空法秩序の維持に配慮するとともに周辺住民の騒音被害に対する救済を忘れず、私法的には航空機騒音の被害者保護に配慮するとともに公共性と航空法秩序全体の下における受忍義務のあるべき姿を考え、ともに当該空港における航空機騒音の実態に則して公益と私益の調和を図り、できるだけ公法私法の整合性を失わない解釈理論の構成に心がけるべきであろう。」とし、続けて「以上の次第にて、当裁判所は、前引用の原判決理由説示のとおり、この際法解釈として差止請求について民事上の請求不適法説を採用するものではあるが、ここでは控訴人行政側と被控訴人住民側の双方に対して相手方に対する理解と協力の必要性を訴えるとともに、なお今後の問題として、この見解には前記のとおり法理論上解明を要する多くの問題点が残されていることを指摘するに止めておきたい。」と判示している。

さらに自衛隊機について「その運航時間、運航態様等発着、運航に関し、控訴人運輸大臣、防衛庁長官の本件空港管理権限と控訴人内閣総理大臣、防衛庁長官の防空行政上の命令、承認の権限(特定の時間、態様において自衛隊機を発着させよ、又はさせてよいとする公定力ある判断)との関係は、民間航空機について右に説示した空港管理権と航空行政権の関係に酷似しており、その不可分一体性ないし防空行政権の空港管理権に対する優越性、拘束性の問題は、統治行為論ないし政治問題としての色彩が濃い自衛隊機の運航時間の設定、発着又は差止を巡る法律関係の公法的性格もあって、民間航空機の場合以上にこれを重視し、自衛隊機の差止は行政権の取消、変更、発動を求める請求を包含し、狭義の民事請求は不適法であるとする見解がある一方、他方において、自衛隊機の発着、運航そのものの性質は、国民に対する公権力の行使を本質的内容としない内部的な職務命令とその実行行為にすぎないもので公定力ある行為に非ず、従って、不法行為の被害者である空港周辺住民が加害者である空港管理主体に対し空港機騒音被害の差止めを求めるのに民事請求上なんの障害もないとする私法的観点からの見解があることは、これまた周知のところである。

当裁判所は、自衛隊機についても、前引用の原判決理由説示のとおり、民事上の差止請求不適法説を採用するが、これについても法理論上民間航空機におけると同一のなお解明を要すべき多くの問題点が残されていることを指摘しておく。」と判示するのである。

二 以上のように、原判決は、一審判決と同様に民事上の差止請求不適法説を採用するといい、一審判決の理由説示を引用しながら、その理由説示をことごとく批判し、その欠陥を指摘しているのである。さらに、一審判決が「民事上の差止請求不適法説を採用しても、周辺住民が適法に提起しうる訴訟が皆無となるものではない」旨説示した部分は削除し、前記引用のとおり民事上の請求不適法説は「私法的救済手段である行政訴訟の手続的保障について現実性ある理論の解明が不十分である」と正当に説示するに至っている。

結局のところ、原判決は一審判決の理由説示を引用すると判示しながら、その内容をことごとく批判し、その問題点を指摘しているのであり、一審判決の理由援用と、一審判決の理由批判といういわば二律背反の理由説示となっている。従って、原判決は、「この際法解釈として差止請求について民事上の請求不適法説を採用する」とは判示するものの、何故に民事上の請求不適法説を採用するのか理由が全く示されないという理由不備もしくは何故に原判決の理由説示から民事上の請求不適法説に至るのかが判然しないという理由齟齬が顕著となっている。

以上の次第であるから原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟法違背があることは明白である。

第二 上告理由第二

本件空港の差止請求は、民事裁判事項に属する適法なものであるのに、原判決が、民事上の差止請求は不適法として本案につき審理判断しなかったのは、訴訟法の解釈適用を誤ったものであり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決は、民間航空機、自衛隊機および米軍機のそれぞれについての差止請求に係る訴えを不適法として却下した一審判決の判断を維持し、上告人の請求を退けている。その理由説示は、上告理由第一で述べたとおり、判然としないが、いずれにしても一審判決の理由説示の域を超えるものではない。

従って、敢えて善解すれば、原判決の理由は以下に要約できる。

1 本件空港の供用の差止請求は、不可避的に公権力の行使たる航空行政権の行使の取消、変更ないしその発動を求めることになり、あるいは、米軍機に対する差止請求は外交交渉を義務づけることになり、いずれも民事訴訟では請求できない。

2 自衛隊機および米軍機による差止請求は統治行為ないし政治問題として司法裁判所の判断事項に属さない。

しかし、右判断は、上告人らの求めた差止請求が人間としての生活を維持するための最低限の要求である一方、被上告人国にとって直ちに実施可能な内容であることを見過ごし、司法の使命を逸脱して行政優位の立場に追随した法律外的な政策的判断である。従って、以下に述べるように、原判決の誤りを速やかに是正することが求められているのである。

二1 本件差止請求は、上告人らの生命・身体・精神等に対する侵害行為の不作為であり、何らかの行政行為を求めたり、まして特定の外交交渉等を求めたりしているものではない。

敢えて、求めているものの対象を述べれば、それは、国の空港設置管理行為の是正であり、その設置管理行為が非権力的作用であることは、学説上も異論がないはずである。

そして、国家の営造物としての空港は、単なる物質的な施設ではなく、航空機が離着等する機能的な施設である。その機能的な空港が、その機能の面で耐え難い騒音を発生して附帯上告人らに到達させこれらのものの私法上の権利が侵害されているという事実を、設置管理の瑕疵として問い、その瑕疵を修復することを求めているにすぎないのであり、その瑕疵を具体的に発現させているのが、民間航空機や自衛隊機であろうと米軍機であろうと、その問うているところに何らの違いもない。この瑕疵を修復して上告人らの被害を防止することが上告人らの求める不作為請求である。

2 つまり、上告人らが、本件において請求しているものは、国において管理・運営している福岡空港の使用を上告人らのために一定の限度で制限することであって、本訴を民事訴訟として訴求するに何の障害もないのである。また、上告人らからの差止請求が認容され、国がその旨の司法上の命令を受けた場合、国の公権力の行使に一部制限が加えられる事象の生じうることも考えられないわけではないが、「右供用の差止を命ずる判決がその本来の内容ないし効果として行政機関たる運輸大臣に対し一定の内容の規制権限の行使を義務付けることとなるものでない」のであって、それは「いわば右差止を命ずる判決の付随的ないし反射的効果という」に過ぎないのである(引用は、大阪空港公害訴訟最高裁判決における中村治朗裁判官の少数意見)。

3 また、米軍機に対する差止が法的に不能という考えは、日本国民は立法府、行政府による解決を待つ以外に、米軍機の運航に伴う激甚な被害に対し、何ら根本的な救済を求め得ない、ということを意味するが、これは、日本国民の人格権、環境権、平和的生存権及びこれらを基礎付けている日本国憲法に対し、条約の一方的優位性を認めようとする論理であって、憲法学等の学説レベルでも問題とならない。

そもそも、右の条約及び地位協定は、アメリカ合衆国軍隊が本件飛行場をその基地として使用することができるための国際法上の根拠を提示しているに過ぎないものであり、その軍用機の離着やエンジン調整などの作業が我国の国内法上の規制を無視してなし得ることを意味するものではないのであって、このことは地位協定第三条第三項及び第一六条において以下のように明文をもって確認されているのである。すなわち

・第三条第三項 「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行なわなければならない。」

・第一六条 「日本国において、日本国の法令を尊重し、及びこの協定の精神に反する活動、特に政治的活動を慎むことは、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族の義務である。」

以上の通り、上告人らの本件差止請求は、私法上の請求でありかつ行政行為の発動等を求めるものではなく、民事訴訟手続によって審理されることに何の問題もないものである。

4 更に、訴訟制度としてみると、裁判における各種訴訟手続は、権利実現のための手続的保障であり、各種権利それぞれの場合に適合した客観的真実性を担保するための合目的形態ということができる。各種訴訟手続は、それぞれ歴史的に形成されてきた結果、今日のごとく民事訴訟、刑事訴訟等々とそれぞれ体系化されている。しかし、あくまでも訴訟手続は、権利実現のための制度にしかすぎず、刑事手続を例外としてもその他の手続は、その基本を同じくした上で民事訴訟を中心とした幹から社会構造の複雑化・理論の進化とともに分派していったものにすぎない。

今、上告人らは、人格権・環境権という人間として、人間の生存の最も基本的部分の要求として、平穏、静謐な日常生活を求めているのである。航空機が離着陸等して絶え難い騒音を発するという欠陥を有する福岡空港の瑕疵ある事実状態に対し、その瑕疵を防止すべく強大な騒音の到達の差止等を求めているのである。よって上告人らの請求は、前述の通り、訴訟上の請求であり、民事訴訟によるべきなのであるが、更に、訴訟制度とは、前述のごときものであるから、その各種訴訟手続の中で最も標準的であり、客観性を保ちうる最も発達した形態を取る民事訴訟手続を取ることによって、十分に、上告人ら及び被上告人国の正当な権利を擁護することが可能というべきである。

すなわち上告人らは、憲法上の根源的権利を実現するため、十分理論的にも成り立ち、十分権利実現の要否・程度等につき攻撃・防御を尽くしうる訴訟手続によって、裁判を提起しているのであるから、単に各種権利実現のための手段にしか過ぎない訴訟手続の矮小な相違にこだわることなく、裁判所は、その利用した訴訟手続の中で十分な審理を尽くし、その手続きとして可能な方法で上告人らの請求の要否・程度等を判断すれば必要にして十分なのである。

この点からも、民事訴訟法による差止請求は当然に適法である。

5 なお、小松基地騒音差止等請求事件において、金沢地方裁判所平成三年三月一三日判決は、自衛隊機の離着陸等に係る差止請求について、

「一般に、公権力の行使に該当する行為は、その行使の主体たる行政機関が国民に対する優越的意思決定の権能を有し、相手方の意思如何にかかわらず、その決定の受忍を第一次的に強制しうるものであって、このような効力、すなわち公定力を付与された行為については、これを争う者が特別な争訴手続によらねば排除できないことはいうまでもない。

しかしながら、行政機関の行なう行為のすべてが右のような特別の効力を有するわけではなく、現実には公権力の行使の性質を有しない多様な行為によって行政手続を達成しているのが通常であって、このことは防衛の分野においても同様であるところ、自衛隊機の離着陸・運航そのものの性質は、右1で検討した関係法令を検討してみても、国民に対する公権力の行使を本質的内容としない内部的な職務命令とその実行行為に過ぎないものというほかなく、直接一般私人との関係でその一方的意思決定に基づき、権利義務に影響を及ぼすものではないので、これを右公定力を付与された行為と見ることは到底できないものである。

そして、公定力を有しない行為は、それが行政目的を達成するのに必要な行為であっても、これによる侵害利益との比較衡量において民事上の差止請求の対象となり得ると解すべきものであり、このことは、自衛隊機の離着陸等をこれを包含する防衛行政の名称で統括し、その行使の一場面と解することによって変ずるものはない。国民生活に第一次的責任を負担する行政機関の専門的判断は、格別に不合理であると認められない限り、司法上の判断においても尊重されるべきものであるが、そのことの故に、およそ本件のような自衛隊機の離着陸等に対する民事上の差止請求がなし得ないと解することはできず、」と述べて、民事上の差止請求の適法性を明確に認めているのである。

また、いわゆる国道四三号線訴訟において、大阪高等裁判所平成四年二月二〇日判決は、「ところで、原告らが求める抽象的不作為としての差止は、その目的を達成する方法として、行政庁による道路の共用廃止、路線の全部または一部廃止及び自動車の走行制限といった交通規則等の公権力の発動によることを要する場合のほか、道路管理者による騒音等を遮断する物的設備の設置等の事実行為も想定できるところ、原告らは、公権力の発動を求めるものではない。いうまでもなく、本件は管理権の作用を前提とするところ、それにもかかわらず異別に解しなければならない特段の事由は認め難いというべきであるから、民事訴訟上の請求として許容されるというべきである。」と述べて民事訴訟による差止請求の適法性を認めている。

大阪国際空港公害訴訟の最高裁大法廷昭和五六年一二月一六日判決が、差止請求の民事上の請求不適法説を採用しているが、なお右金沢地裁判決や大阪高裁判決が民事上請求適法説に立つのも、あるいは、本件原審が上告理由第一で述べたように、極めて曖昧な理由説示をせざるを得ないのも、民事上の請求不適法説の法解釈上の誤りに帰するものにほかならない。本件上告審において、前記大法廷判決を改め、正しい法解釈を示すことこそ貴裁判所に課せられた使命である。

三1 国の行為が全面的に違法な場合、その結果として、国がどのような措置を採るかは別として、上告人らが本訴で求めているのは、上告人らに生じている被害の停止(すなわち静穏が望まれる一定時間帯は、騒音を到達させるな、というものであり、その内容は、夜静かなところで寝たいとか家族揃っての団欒を取り戻そうという生活する人間としての当然かつ極めて些細な要求にしか過ぎないもの)なのであって、防衛施設の廃止等を求めているものではない。

つまり、上告人らの求める時間帯に、一定音量以上の騒音が存在する場合、その騒音によって上告人らにどのような被害が生じ、更にその被害が継続しかつより以上の重大な被害が発生するおそれがあるか否かが、本件における最大の争点なのである。その騒音発生行為の「重要性」が、騒音発生行為の停止を防げることが仮にあるとしても、上告人らに生じている被害が、生命・身体・精神等という人間としての存在そのものを侵害するようなものである場合、その騒音発生行為は停止されざるを得ないものである。

2 従って、前記金沢地裁判決が以下述べるように、本件のような空港訴訟における差止請求においては、政治的問題論・統治行為論を論ずる必要は全くないのである。

「本件は、まずもって、被告の設置・管理する飛行場において被告の飛行機ないし被告の承諾を受けた米軍の飛行機が離着陸して運航しているという事実行為があるにとどまり、この事実行為自体は元来原告らの私法上の権利を何ら侵害するものではない(前示のとおり、原告らが主張するところの「平和的生存権」は本件請求の根拠としては認められない)。しかるところ、これが原告らの私法上の権利と関係してくるのは、右の運航によって騒音等が生じ、この物理現象により原告らが日常生活上甚大な被害を受けているからであるにすぎない。これにより損害賠償請求の前提として右設置・管理の「瑕疵」の存否を問われ、また、右被害の内容程度が被告の一定の事実行為を差し止めなければならないほど深刻なものかどうかが問われるが、その判断を左右するのは、当該騒音等により原告らが日常生活上どのような精神的、身体的被害を受けているかという、専ら人格的被害の具体的な内容程度である。すなわち、軍事力・防衛力の配備の可否・当否や、自衛隊の飛行機の運航が憲法上どのような評価を受けるかどうかではない。これらによって、右の騒音等による原告らの身体的、精神的被害の具体的な内容程度が左右されることはおよそあり得ないからである。右のような事案からして論ずるまでもないところであるが、本件は通常の私法秩序に係る一般的な民事事件であり、例えば、自衛隊所属の車両が他人の土地に侵入して勝手に駐車場として使用していたとか、一般道路で人身事故を起こしたとかいう場合の紛争と同様に判断し解決すべき事案である。右に例示した事案において、損害の存否ないし過失等の存否などが問われるのであって、公法秩序上自衛隊が憲法九条に反するかどうかを論ずる必要がないし、ひいては統治行為論が主張されることもあり得ない。すなわち、右車両が自衛隊のものであるがゆえに、他人の土地を占有権原なしに侵害しても、また過失により第三者に怪我をさせても、土地所有権に基づき当該車両の土地使用占有の排除を求め、あるいは人身損害につき賠償を求める民事訴訟が許されないなどということは、およそあり得ない(戦時における緊急非難等の特殊な法律関係等は論外とする)。このことは、右において、当該車両が自衛隊のものであるがゆえに、国が賃貸借契約その他の占有権原に基づき土地を占有するものであっても、また何ら過失がなく専ら当該第三者の過失により怪我をしたものであっても、公法秩序上自衛隊の存在自体が憲法上許容されていないという理由で、土地所有者からの当該車両の土地使用占有の排除請求や、人身被害を受けたものからの損害賠償請求が認容されることがあり得ないことと同断である。

右を要するに、騒音等の被害が甚大であるとして当該具体的な騒音源たる飛行機の運航(の一部分)差止を求め、かつ損害賠償を求める一般民事訴訟においては、自衛隊が違憲かどうかの司法上の判断をする必要がない(前示の趣旨で憲法判断をすべき事件の適格性を欠く。)というべきところ、これと同様に、このような司法秩序の範囲内の一般民事訴訟が被告の主張するような統治行為論等によって不適法として却下されることもおよそあり得ないものというべきである。この点につき、被告は、本件差止等請求は、小松飛行場の飛行場としての使用を全面的に禁止するに等しいものであって、我国の防衛力の配備の適否の判断を前提とせざるを得ないものであるから、司法審査の判断事項に属さない旨主張するが、右請求は自衛隊の一部隊における諸活動の部分的制約を求めるものにすぎず、自衛隊の存立や基本的運営に関わるものとはいえないから、防衛の特殊性を考慮したとしても被告の右主張は採用できない。」

以上の次第であるから本件差止請求が民事上の請求として不適法とした原判決は訴訟法の解釈適用を誤ったものであり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

以上

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